2016年4月16日土曜日

ハラールショップ

豚肉を食べないからといって、高級な松坂肉でもてなしてはいけない。羊ならいいだろうと思って羊の肉を買ってきてジンギスカンをしても彼らは食べられない。彼らはイスラム教の教えに則った方法で屠殺した肉しか食べないのである。だから正式には異教徒がその手続きを取らずに処理した肉は羊であっても食べないのが一般的である。東京ではモスレム用のお店があってそこではきちんとイスラム的に処理された肉が売っているそうである。そのような肉はハラールミートと呼ばれ、そのような店はハラールショップと呼ばれている。インターネットで検索するとそのような店を探すことができる。日本にもモスレムが増えてきたということの証であろう。

豚肉と同様に日本でもよく知られているのはイスラム教徒の禁酒である。イスラム初期にはメッカの住民は酒を飲んでいたという。飲酒の結果が人を惑わせるために飲酒は芳しいものではないということになったようだ。先はどのハラールに対して、飲食してはいけないものはハムルと呼ばれるが、2代目のカリフであったウマルはハムルの酒をブドウ、ナツメヤシ、蜂蜜、大麦、小麦の5つを原料とした酒と定義したという。

酒については色々な想い出がある。70年代のイランは開放的な時代であったから、スーパーには酒が売っていた。イラン産のワインは美味しかった。もっときつい酒を欲する人はロシア産のウオッカを飲んだ。ウィスキーは高級品で高価であったため飲む人は少なかった。もちろんビールもあったが国産のビールはあまり人気がなくて、デンマークのツボルグの人気が高かった。しかしながら、79年のイラン革命を境にして酒を飲むことができなくなった。人々は何とか手に入れようとしてそれなりの成果を得たようだ。

2016年3月16日水曜日

ベトナム戦争で軍事的威信喪失

強いアメリカ経済の復活は先が見えず、国防支出の増大によって国家財政は赤字となったが、核ミサイルに象徴されるアメリカの抜群の軍事力は、いよいよ強大になっていた。そのうえアメリカ国内市場の大きさもまた世界で抜群であったために、ドルヘの信頼は高く、ドルは依然として世界の基軸通貨の地位を確保し続けていた。だから財政赤字を補うために大量に発行された高金利のアメリカ国債を、世界各国の金融機関が買い続けた。

日本の金融機関が最大の買い手であった。そのために、諸外国によるドル需要は大きく、貿易収支の赤字が克服される見通しがないにもかかわらず、他の通貨に対するドルーレートは高く維持され続けた。ドルに対する円レート(通年平均)は一九八〇年の二二六円から、一九八五年の二三八円へと、むしろわずかながら低下していた。

実態経済ではドルにそれだけの力がないのであるから、ドルの強さがいつまでも続くはずはなく、暴落の可能性もあるので、一九八五年、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本の金融行政の最高幹部たちは協議をかさね、現在のドル高は好ましくないとの声明を発表した。ドルは一気に低落した。反対に、シーソーのように円は上がった。

一九八六年の円レートは一六八にまで跳ね上がった。ドルの価額が大幅に下がったので、アメリカの債務はたちまち膨れ上がり、他方債権は低落して、アメリカは一九一九年以来六六年を経過して、はじめて債務国に転落した。経済の規模が大きいだけに、世界最大の債務国になった。反対に日本の債務は縮小し、債権は大きくなって、日本は経済大国ともてはやされるようになった。

ベトナム戦争で軍事的威信を失ったアメリカは、今度は世界の経済戦争で威信を失ったかに見えたが、その一九八五年、ソビエト社会主義は、にわかに自己崩壊の様相を呈し、その窮境を立て直そうと、ペレストロイカをかかげるゴルバチョフがソビエト共産党の書記長になった。それがアメリカを救った。

加工産業立国路線をひたすら歩む日本にとっては、原油の輸入価額の高騰は痛かった。一九七三年の原油輸入価額は六〇億ドル、総輸入額の一五・七%を占めていたが、翌七四年の原油輸入額は一八〇億ドルと前年の三倍をこえ、総輸入額に占める比率も三〇・五%に拡大してしまった。日本の国際収支は黒字から赤字へと逆転し、加工産業立国路線も立ち行かないのではないかという悲観論が噴出した。しかし、日本の貿易収支はあっというまに立ち直ったのである。