2012年8月8日水曜日

淘汰と再編の進行


金融機能早期健全化法に基づいて九九年三月に大手銀行一五行に計七兆四五九二億円の資本注入を実施したことから、大手銀行については信用不安は一服した。ただ、九九年中には東京の国民、東京相和、大阪の幸福、なみはや、新潟県の新潟中央銀行と、いずれも第二地方銀行の破綻が相次いだ。

一方、金融再生委員会-金融監督庁は大手銀行の再編を急いだ。日本版ビッグバンが進んで世界の金融機関との競争が激化すれば、大手銀行といえども単独では戦えないからだった。曲折はあったが、結局、大手金融機関は四グループに再編されることになった。

すなわち、第一勧業、富士、日本興業の三行が持ち株会社方式で統合した「みずほフィナンシャルグループ」、住友、さくら両行が合併する「三井住友銀行」、東京三菱銀行と三菱信託銀行が持ち株会社方式で統合する「三菱東京フィナンシャルーグループ」、そして三和銀行と東海銀行が合併したうえで、三和系の東洋信託銀行と持ち株会社方式で統合する「UFJ」である。

中でもみずほは九九年三月末の総資産が一四一兆円と世界最大であり、他の三グループも規模では世界の上位を占める。柳沢伯夫元金融再生委員長は「国際的な業務を行う総合金融機関は、日本では三つか四つあればいい」と発言しており、その通りになった格好だ。

銀行業界の再編に促されて、損害保険業界の再編がまず進んだ。損保と生保の統合・提携も始まった。さらに、銀行業界に先行して再編が進行していた証券業界が、銀行の再編に対応して一段の再編を進めている。

もちろん、金融再編が進んだとはいえ、取りあえずは総資産など規模の面で巨大化しただけである。商品開発力や経営内容の革新など中身の面では欧米の大手銀行にはまだまだ太刀打ちできない。だが、規模を大きくして顧客基盤を広げ、情報技術(IT)投資のための巨額の資金力を備えたことは、世界的な競争に向けての第一関門をクリアしたとはいえるだろう。

このように、金融行政部門の再編とともに、従来では考えられなかった大手銀行の破綻認定があり、金融再編が進んだ。金融行政の器だけではなく、中身も変わったのだ。