2013年3月30日土曜日

ブレが思いがけない迫力を生む

小さなゴミだからといって、バカにできません。カメラの画面サイズは二四×三六ミリですが、これを葉書の大きさに伸ばせば約十七倍、週刊誌大なら約五十四倍、新聞紙一ページ大で約二百五十倍にもなります。あの小さなコマを百倍、二百倍にしてもビクともしないのは、精密なカメラボディとシャープなレンズ、それに高感度微粒子フィルムのおかげです。せっかくの高性能カメラも、雑に扱ったりレンズにホコリがついていては能力の半分も引き出せません。外側だけでなく、ボディの内部にももう少し神経を使ってほしいものです。

余談になりますが、十年近く前、ロバートージェームズーウォラーの『マディソン郡の橋』という小説が話題になったことがあります。アメリカで四百万部、日本で二百六十万部の超ベストセラーになり、クリントーイーストウッド、メリルーズドリーブ主演で映画にもなりましたから、ご存知の方も多いでしょう。雑誌の仕事でアイオワ州南部の片田舎の川にかかる屋根付きの橋を撮影にきたロバートーキンケイドという写真家が、農家の主婦ブランチェスカージョンソンと短くも激しい恋に落ちるというストーリーです。この物語の中ではカメラが重要な役割を果たしていて、作画の心得や写真家の日常も細かく描写されています。その中に、仕事が終わったあとカメラをバッグにしまい込む様子が描写されています。

レンズは短いのと、中くらいのと、長いのがある。機材はどれも引っ掻き傷だらけで、ところどころへこんでいる。けれども、彼はそれをていねいに、それでいて、なにげなく扱っており、拭いたり、ブラシをかけたり、埃を吹いたりしていた。さらりと書いてありますが、この数行で彼がどんな写真家か、使い込んだカメラをいかに大切にしているか、さらには仕事に対する愛情までもが伝わってきます。ついでにいえば、主人公が使っているカメラはすべて日本製、それも、いまや大ブームのクラシックカメラの中でも、もっとも人気の高い機種でした。

さて、35ミリカメラの場合、本来の画面を数十倍に拡大して初めて作品になるわけですが、これだけ拡大させると、わずかのピントの甘さや手ブレも画質に大きく影響します。自分のカメラには自動露出もオートフォーカスもついているので、ボケなどあり得ないと思われるかもしれませんが、四倍のルーペでネガなりポジをのぞいてみると、ほんとうに満足のいくコマは、それはどないものです。サービスサイズでは分からなくても、B5判(週刊誌の大きさ)以上に伸ばしてみれば、一目瞭然です。

もちろん、ブレが思いがけない迫力を生んだり、動きを出すためにわざとブラして撮る作品もありますが、やはり撮影の基本は、できるかぎりピンボケやブレを出さないことです。いちばん確実なのは三脚を使うことですが、それが無理であれば、机でも柵でも樹木でも何でもかまいませんから、固定物に寄りかかるなり肘をつけて撮りましょう。それもダメなら、体を安定させ、両肘を締めて体に密着させて撮ります。百分の一秒だからと安心して、「ハイ、チーズ」のようなシャベリ押しや、片手撮りは禁物です。