2013年8月28日水曜日

アクセルはあってもブレーキがない日本の公共工事

〈私は、私たちがかねて琉球文化圏と呼んでいるこの奄美と沖縄地域の島々が、まぎれもなくさんご礁の干瀬を共有し、自然的条件のうえにおいてもほとんど共通していることに気づかされたのである。ここで私は、文化を育む基盤は大自然のもたらす条件や恩恵と深くかかわっているという想念にたどりつき、いつの間にか「コーフル文化圏」という言葉を頭の中で造り出したのである〉(『徳之島の民俗2 コーフルの海のめぐみ』)私たちの生活も文化も、自然環境抜きには語れない。たとえば、糸満の「追い込み漁」も徳之島のカムイ焼(一九八三年に徳之島・伊仙で発見された古窯跡群で焼かれた土器)も、このコーフル文化圏を器に南西諸島のすみずみに広がった。このコーフル文化圏を、島尾敏雄が名付けたヤポネシアや琉球文化圏に重ねるとさまざまなイメージが広がる。

泡瀬干潟を近隣住民の共有資産としてはどうか。泡瀬干潟は、コーフル文化圏を象徴するものだ。それが二〇世紀末に埋め立てられることになったのである。その理由が実にいかがわしい。一九九八年に、中城湾新港地区を「特別自由貿易地域(FTZ)」とする構想が生まれ、大型船が停泊する港を建設する計画が具体化したのはいいが、海底を浚渫する際に出る土砂の捨て場所に困った。そこで南側にある泡瀬干潟が選ばれたというわけである。つまり、泡瀬干潟を土砂の捨て場にしようというわけだ。埋め立てた跡にできる約一八五ヘクタールをマリーナーリソートにし、さらに企業を誘致すれば、雇用の場が生まれるし観光客が押し寄せて、地元にとっては一石二鳥というわけである。

ところが、私かホテル業者やマンション業者から聞いたかぎり、「開発の誘いは何度も受けているが、東海岸ではリスクが大きすぎるので断っている」と、全員が首を振った。「沖縄バブル」のさなかでもこれだから、サブプライムローン問題で世界的に経済が落ち込んでいる今なら確実にノーと言うだろう。さらに本土復帰以来、八兆五〇〇〇億円も使ってこれといった企業を誘致できなかったのに、今さら泡瀬に本土の企業がやってくるとも思えない。希望がないのに、あわよくばという幻想だけで見切り発車したのが泡瀬干潟埋立事業だった。埋め立てた後、土地の買い手がなければ、沖縄市は莫大な費用(予算規模約四三〇億円の三分の二と言われる)を負担することになる。払えなければ市民から徴収するしかない。そんなバクチ的事業に、那覇地裁が県と市に対して公金の支出を差し止めたのが〇八年一一月の判決だった。

しかし、案の定というべきか、県は公訴した。アクセルはあってもブレーキがない日本の公共工事の、これこそ典型的な例だろう。それにしても、干潟の埋め立てに反対するグループは「開発や埋め立てを中止せよ」と叫び、県や市は、結果がどうなろうと埋め立てを強行しようとする。なぜ二者択一の結論しかないのだろう。かつて日本には、里山などに入会権というものがあったが、この泡瀬干潟を近隣住民の共有資産とし、観光や町並みづくりに活かそうという発想はなぜ生まれないのだろう。沖縄から電柱を取り除くことができたならかなり前のことだが、沖縄県の職員と酒を飲んだとき、酔った勢いでこんなことを言われたことがある。

「あの沖縄振興開発予算を、道路なんかに使わず、沖縄から電柱をとっぱらう費用にすればよかった。これなら沖縄の土建業界も困らないし、日本で唯一電柱のない県として話題になったはずだ。悲しいことに、県行政のトップは真剣に政府と話し合おうともせず、もらえるカネは使っちゃえと、ただ漫然とばらまいてきたんだよ」県庁にもわかる人はいるんだと、私はちょっとうれしくなった。国道五八号線を北上すると、恩納村のいんぶビーチを越えたあたりに、短い距離だが電柱のない区間がしばらく続く。日本人は「電柱があっても見えない民族」と馬鹿にされるが、日本人でもそういうところを走るとどこかほっとする。電柱があるとないとでは、それだけ感じ方が違うのだ。