2014年9月16日火曜日

租税特別措置の動向

自民党税調の影響力が高まった時代以降の租税特別措置の動きを、簡単に振り返っておこう。年度を追い事項と減免額を述べるのは、あまりにも煩雑となるので、主たる動きだけをしめしておきたい。さて、先にも述べた上うに一九六〇年代に租税特別措置の力点は、企業の輸出競争力や技術開発などを目的とした輸出振興税制におかれていたが、一九七〇年代初頭のニクソンーショックによる円の切り上げ以降、それらは姿を消していく。代わって七〇年代の企業にたいする租税特別措置の力点は、当時の公害環境問題の深刻化を反映して、公害防止施設についての特別償却制度、公害防止事業費負担金の一部損金算入、騒音規制地域外への工場移転にともなう買換え特例などをはじめとした、公害関連税制におかれるようになった。

もちろん、こうした租税特別措置には、PPP(汚染者負担原則)に反するとの批判が当時の野党や公害関係住民運動団体から生じた。それに一面の真理が含まれているのは事実である。ただ、このような方向転換は、経済団体が世論の批判に耐えかねて政治に自己負担の救済を求めるとともに、政治の側がそれを集票機能の拡充に利用した結果である。同時に政策論としてみれば、環境基準の規制の強化をはかるだけではなく、その実現にむけて何らかのインセンティブを対象に与えなくてはならない。公害防止の補助金支出とならんで、「隠れた補助金」の支出によって、インセンティブの多元化をはかると同時に、一般歳出を抑制しようとした予算官僚制の意図を読み取れるであろう。

この公害関連の租税特別措置に加えて七〇年代に顕著となったのは、当時の都市・住宅問題への対応としての住宅譲渡所得の特別控除、土地譲渡所得にたいする特例の導入などであるとともに、特定鉄道設備の特別償却、地中送配線設備の特別償却、特定ガス導管工事の償却準備金制度などであった。第一次オイルーショックに加えて第二次オイルーショックを経験する七〇年代後半から八〇年代にかけて目立つのは、エネルギー資源設備についての特別措置である。一九七五年度にエネルギー資源有効利用設備の特別償却が導入されるが、その後も省エネルギー設備の特別償却、エネルギー利用効率化投資促進措置などが次々と設けられ、同時に対象を拡張していった。

そして、八〇年代中盤から租税特別措置を彩るのは、「民間活力」導入に関する租税特別措置である。まず八四年度には、先端技術産業が「高度技術工業集積地域」において新増設した設備にたいする特別償却制度が導入された。これに続けて、八六年度になると東京湾横断道路株式会社の発行する割引債についての分離課税、民間活力によって整備される特定施設にたいする特別償却制度、エネルギー基盤高度化施設にたいする特別償却制度などが導入されていくことになる(この動向について詳しくは拙著『財政破綻と税制改革』岩波書店、一九八九年を参照されたい)。