2014年11月17日月曜日

市民利益を最優先に考える司法制度は

一般の市民が、自らが主権者であることの重大な意義を認識し、社会参加できる陪審制は、市民の利益を害するはずがありません。その意味では、陪審制への期待は、市民自身の側からもっと高まってもいいはずです。

また、そうした市民の利益を汲み上げる政党やマスコミの強い支持があってしかるべきです。日本では、多くの人々の幻想の上に成り立っている裁判ですが、陪審員を入れれば裁判に対する幻想などは吹き飛んでしまうでしょう。

その意味で陪審制は、裁判手続のおり方を抜本的に良くするためだけでなく、実は日本人の意識を変革するための特効薬になると思うのです。手続に鈍感なままに馴らされてきた日本人の「お上頼り」意識の象徴が、裁判官への「絶対的な信頼感」でしょう。

私は決して一人一人の裁判官を恨んでいるわけでもなければ、彼らをけなすことが本意なのでもありません。裁判官もそれなりに苦労して、できるだけ合理的に仕事をしているに過ぎないことも理解しておくべきでしょう。例えば、裁判官が法廷で居眠りするなどという話も、現行の制度では合理的な面さえあります。

これは皮肉でも何でもありません。ダラーとした尋問が続いていても、裁判官としてはとやかく注意しにくい雰囲気があります。その退屈な尋問を聞いていなくても、バッチリと取られている記録を後で読めば同じことです。むしろ、その場で聞き違えをするよりも確実でさえあります。