2015年12月16日水曜日

法律の本の情報

残念ながら、法律相談を聞いて満足した人は、必ずしも多くないでしょう。もちろん、その時の雰囲気で何となく言いくるめられて、何となく分かったという気にはさせられるかもしれません。それなりに安心できることもあるはずです。

そういう場合の法律相談は、利用しないよりは何か良いことがあるでしょう。しかし、実際のところ、三十分や一時間くらいで理解できるか、また、どうしたら現実の解決に結びつけられるのかというと、なかなか難しいのではないでしょうか。

一方、法律の本には情報が沢山書いてあります。それを正しく一般の方たちが理解しているかというと、後になってポイントをはずしていることが判明することも多々あります。ですから、私の一つのアドバイスは、本をひと通り読んだ上で、その本を持って弁護士さんと三十分くらい話をすると、勘違いしていたところが多少は修正されて、ようやくそこそこのことが分かるということだと思います。

そのようにして、日本でいろいろな法律問題についてまじめに考えていくと、なかなかうまくいかないことになっている。そういうことが、ようやくはっきりと分かってくるのです。「まともな人々」に用意されている手続法律相談で知識は得られます。法律的にはどういうことになるべきか」ということを聞かせてくれます。

しかし、それで現実の解決が得られることは少ないのではないかと思われます。法律相談の結果、「なるほどよく分かりました。その通りやって解決しました」ということはそんなにあるものではありません。もちろん、そういうことがないわけではありません。ただ、それはたまたま運が良かったというだけのことです。

2015年11月17日火曜日

医療と福祉の連携

国は一九九二年度、七つの県をモデルにして介護実習普及センターの設置を指定した。広島県もそのひとつとなったが、県では実際の介護実習を御調町に委託した。このため、老健施設のなかに地域介護実習普及センターを設置した。これまで御調町では家族の介護、地域住民(ボランティア)の介護教室等を老健施設「みっぎの苑」で開催していた。これが正式なものとして位置づけられた。

国は一九九一年度より老健施設に痴呆病棟を新設した。精神病院の痴呆棟に入院するほどではないが、ある程度の痴呆を有していて療養を必要とする老人を対象にしている。これを「みつぎの苑」に増築して完成した(五〇床)。在宅ケアに連動する施設として運営している。あくまでも通過型の施設として痴呆の在宅を考えて、在宅ケア支援機能を持たせる。

三〇床のケアハウスを一九九三年に完成し「みつぎの苑」(老健施設)に合築の形でスタートした。御調町では、老健施設や特養に合築したほうが、単独で設置するより効率的と考えている。小規模(三〇床以下)でも十分だという。

御調町では一九六六~六七年ごろ医師会と十分に協議し、病院は入院を主体とし、診療所は外来を主体とし、病診連携を十分にとってきた。また在宅ケアについても、数年前から開業医が主治医の場合でも、その指示により病院(健康管理セソタ士のスタッフが無料で訪問看護等を行なってきた。これらの連携によってその信頼関係は築かれてきたといえる。

公立みつぎ総合病院はこの一〇年来、他町村の国保診療所へ医師派遣を二年交代で行ない、放射線技師も毎週派遣しているが、これは巡回診療よりも効率が良い。一九九二年五月から病院内に老人訪問看護ステーションをオープンした。これまで病院内の健康管理センターが行なっていた訪問看護のうち、開業医が主治医であるケースと介護を主体とする看護(せいぜい膀胱洗浄ぐらいまでで)は、この訪問看護ステーションへ移管した。

2015年10月16日金曜日

経営資源のレバレッジ

B社はA社よりもずっと小規模で、手にする経営資源もはるかに少ない。同社は、社員も少なく予算もささやかで、貧弱な設備とA社に比べればわずかの研究開発費でやりくりするしかない。しかし、B社には、そんな貧弱な経営資源基盤とは裏腹に壮大な野心がある。B社はA社にどんなに笑われようとも、A社の業界リーダーの地位打倒を合言葉にして、四方八方手を尽くしている。これを達成するには、A社以上に急成長を遂げ、より良い製品をより多く開発し、最終的に世界中の主要市場に進出し、世界にまたがるブランド販売権を確立しなければならないことをB社の管理職は知っている。さしずめB社は、経営資源には乏しいが野心に満ちあふれるという、A社とは正反対のイメージである。

A社の経営資源と野心との間にあるギャップはスラック(弛緩)である。一方、B社の経営資源と野心との間のギャップは我々の言うストレッチである。この点がわかれば、両社のとる競争戦略へのアプローチは根本的に異なり、それぞれの経営資源のレバレッジに当たっても当然、独創性の違いが出てくるだろう。

確かに、A社は戦略的な動きをしやすい。新たに生産能力を増強してB社を引き離したり、研究開発費により多くを投じたり、積極的な価格設定でマーケットシェアを奪い、最大級の販売要員を配置したりできるわけである。実際、経営資源がフルに活用されていないので、A社がB社と競争するうえで考えつく方法はまさにこういったものである。

A社の管理職は、競争戦略で、第一次世界大戦の塹壕戦のアプローチをとろうとする。つまり、「敵方の頭数以上に弾丸を持て」である。A社は競争を戦い抜くために、どんなに非効率的だろうと敵を経営資源の重みそのもので圧倒しようというアプローチをとる。

B社にはそんな余裕はない。裕福なライバルを前にして、B社は大規模な軍隊の規律と自己満足につけ込んで足をすくおうとする、ゲリラ戦術をとらざるを得ない。敵を力ずくではなくて、策略で倒さなければならない。これは北ベトナム軍が米軍の勢力に直面して悟った極めて明快な真実であった。以下の話は、ハノイ訪間中に年老いたベトナム人将軍に延々と執拗に問いかける機会に恵まれた、ある西側の老将軍が語ったものである。

米軍の橋梁爆撃策にもかかわらず、どうやって北ベトナム軍はいともたやすく兵隊と資材を渡河させることができたのだろうか。水面をわずかに下回るところに橋を架け、偵察機には発見できないが、人や車両は通れるようにしたのである。資源のありあまるアメリカ陸軍だったならば、北ベトナム軍が直面したような挑戦にどう対応しただろうかときっと考えてしまうだろう。

2015年9月16日水曜日

中高年活用の戦略的重要性

企業としてそうした条件を整えるためにできる事は多い。産休、育児休暇、労働時間の弾力的管理、子供が育てられるような夫婦単位での人事配置や配転など多くの工夫の余地がある。これらはいずれもそれなりのコストがかかり、短期的には企業の生産性にとって負担になる場合が多い。しかし、有能な女性の人的資源を放棄してしまうか、それとも多少の短期的コストを負担して長期にそれを育てかつ活用するかの選択を考えた場合、これからの企業にとってはますます後者の選択がより合理的になってくるだろう。実際、近年、有能な女性のキャリア継続を可能にするためにさまざまな支援策を講ずる企業がふえている。

将来はキャリア継続が一本線ではなく、一たん家庭に帰ってフルタイムで子育てをし、その後フルタイムのキャリアとして労働市場に再び登』場するという複線型のキャリアも出てくるかも知れない。実際、私共が行った全国的な意識調査では若いコーホート世代ほどそうした複線による本格的な両立型への志向性が高い事が認められた。

いずれにせよ女性の人的資本をいかに育て活用するかはこれからの日本の社会にとっても経済にとってもきわめて大きな戦略課題であるといえよう。この問題に関してはさらに労働時間規制をはじめとする政府のさまざまな規制が大きな影響もしくは制約をもたらしているが、この問題については後でふれる事にしたい。

人口と労働力の高齢化が進む中で中高年者の人的資本の活用がますます大きな戦略的重要性を持ってきていることはいうまでもない。人口構造が高齢化し、高齢者の比重が高まってゆくということは、その中でどれだけの人が労働力として働くか、そしてそれらの人々が質的にどれだけ密度と水準の高い働きをするかという問題が、日本の経済社会の将来の発展の可能性を左右する、ますます大きな鍵になるという事である。

高齢者とひと口に言うが、それはどのような年齢層の人々を指すのであろうか。今日、日本の多くの企業は六〇歳を定年としている。また、年金の本格的な受給開始年齢は六五歳である。一方、企業では五〇歳を過ぎると子会社へ出向させたりさまざまな人事の措置を講ずるところが少なくない。そうしたことを考えると五十代後半から六十代前半くらいが高齢労働者としての扱いを受ける微妙な年齢層であるようだ。

2015年8月21日金曜日

情報投資を抑制する税制改革

現在の日本では、需要喚起策をとるにしても、長期的な構造改革と整合的なものを探す必要がある。このような条件を満たす政策は、構造改革に資する支出に対して時限的な減税を行なうことである。支出に対して減税するのは、短期的な需要喚起効果を確実なものとするためだ。支出に対する時限的な減税は、支出を前倒しにさせるため、短期的な需要喚起効果が確実に生じるのである。

対象となる支出を日本経済の長期的な成長に寄与するものに限定すれば、それによって構造改革が促進される。つまりこの政策は、短期的な需要喚起効果と、長期的な構造改革を同時に実現するものなのである。対象となる支出としては、パソコンやその周辺機器などのOA機器が考えられる。専用回線などのインターネット関連投資を含めることも考えられよう。また、ファクスやコピー機などの伝統的なOA機器を含めてもよい。これによって、SOHOを後押しすることができるだろう。現在の税制でもこれらは経費として控除できるが、減価償却資産とされるために、単年度の費用はさほどの額にはならない。そこで、これらについての初年度全額償却を認めることとするのである。

一般のサラリーマンに対して同様の措置をとることも考えられる。この場合には、パソコンなどのほかに、書籍、研修などの能力向上支出も含めることとする。これらについて、医療費控除と同様の仕組みで控除を認めるのである。一九九九年度には、本体と周辺機器の合計額が一〇〇万円未満の新品の情報機器を購入した場合、一括償却ができることとされている。ただし、この制度は、法人でなければ利用できない。

また、一台ごとに資産管理しなければならない煩わしさがある。パソコンをはじめとする情報関連投資において、日本の立ち遅れか指摘される。その原因として、税制上の扱いも、無視できない要因になっている。パソコンなどの機器は、所得税や法人税では減価償却資産とみなされ、通常であれば六年間の定額償却をすることとされている。

2015年7月17日金曜日

世紀末日本の金融危機

それが海外に波及すると、英国では金融ビッグバンによりほとんどの証券会社が、外国資本に買収され、ブラックーマンデーの株式大暴落が、そうした淘汰と再編の動きに拍車をかけた。さらに九〇年代の半ばからは、業種を選ばぬ国境を越えた買収・合併や資本提携が、まるで日常茶飯事といった様相を帯びてくる。右の私のささやかな経験は、近年のグローバルな金融再編にともなう、いつどこで起きていても不思議はない、その意味では象徴的なエピソードであった。

いま、日本の金融機関にも同じ荒波が押し寄せている。本書は、世紀をまたいで進行するグローバルな金融機関の再編の動きが、なぜ起きたのかを明らかにするとともに、そのなかにようやく巻き込まれようとしているわが国の金融機関の活路を探ろうとしたものである。金融再編の動きをフォローするなかで、とくに次の二つの問題を考えてみたい。

第一は、日本の金融問題の現状認識にかかわる問題である。二十世紀最後の数年間、日本経済は、金融機関の抱える不良債権という怪物に振り回されてきた感があった。不良債権問題は、なるほど解決の急がれる課題ではあったが、怪物のイメージが巨大になればなるほど、問題の本質が省みられなくなる傾向もあった。不良債権問題さえ解決すれば日本の金融産業は立ち直り、日本経済もまたバブル崩壊以前のパフォーマンスを取り戻すことができるのだろうか。おそらくそうはなるまい。

なぜなら、世紀末日本の金融危機は、不良債権問題と同義のように語られてきたが、じつは不良債権問題そのものが、国際的な金融革新の流れに対応し損ねた日本の金融システムの、より本質的な脆弱さの産物だったからである。そして、そうした金融システムの脆弱さを除き米英の市場に追いつくために着手されたのが、日本版金融ビッグバンという名の包括的な金融改革であった以上、ビッグバンの進行にともなう競争の激化と不良資産問題の解決とが時期的に重なり合ったのもけっして偶然の巡り合わせではない。こうして、本邦の金融機関は、二重の圧力に苦しむことになったのである。

2015年6月16日火曜日

アメリカにおける地域別の経済活動状況

ヨーロッパの統合が等式のプラス部分だとすると、移民の防止策はマイナス部分ということになる。東欧の人々は、いつまでも国境の内側にとどまって西欧諸国の一○分の一の収入で満足してはいないだろう。東欧諸国に西欧市場における特恵待遇を与えて経済成長を援助してやらない限り、東欧の人口が西側に流れこんでくるのは目に見えている。また、アメリカがメキシコ問題を抱えているように、ヨーロッパは北アフリカ問題を抱えている。

何百万人もの北アフリカ住民が南ヨーロッパへ流入してくるのを避けるためには、安価な労働力の豊富な北アフリカ地域をヨーロッパ企業の海外生産地として育てていく必要があるだろう。ただし、EFTAや東欧や北アフリカの国々にEC準加盟国の地位を与えたり市場へのアクセスを有利にしたりすれば、貿易ブロックを形成することになる。ヨーロッパやヨーロッパに近い国々だけが優遇されることになる。

ヨーロヅパの統合は進めたい。しかし移民の流入は防ぎたい、というECの意図を考えあわせると、ニ一世紀にむけて彼らが提案するのは、いわゆる「準貿易ブロック」と管理貿易を組み合わせた内容になると思われる。つまり、ブロック内では貿易は現在よりもっと自由になるか、ブロック間の貿易は政府が管理する、というシステムだ。

現在ブリュッセルで進行中の交渉を現実的に分析すれば、この方向は明らかだ。歴史的に見ても、経済同盟を存続させるためにはメンバーの求心力を維持する接着剤として部外者を締め出しておく必要があるのだ。アメリカ新大陸にできた共同市場も、市場成立後一〇〇年を経てもまだ閉鎖性が強く、外からのアクセスを拒んでいた。事実、この問題は一八六一年の南北戦争勃発の重要な一因になった。イギリスから安価な製品を輸入しようとする南部とアメリカの市場を保護しようとする北部とが対立したのである。

政治的に考えても、やはり同じ結論にたどりつく。ヨーロッパは一九九三年になれば猫も杓子も金が儲かるかのように浮かれているか、底深い部分ではやはり統合後の変化に危惧を抱いているらしい。企業も市町村も、自分たちが統合後のECで経済的勝者になれるかどうか専門家に分析を依頼している。アメリカ市場におけるマーケットーシェアを参考に類推してみると、統合後の欧州市場は大半が少数の大企業に持っていかれてしまい、はとんどの企業は残念ながら市場から消え去ることになりそうだ。専門家の分析が明るい将来を描いてくれるのは、ほんのひと握りの企業だけだ。

同じようにアメリカにおける地域別の経済活動状況を参考に分析してみると、ヨーロッパでも統合の結果かえって経済的に落ち込む地域が出てきそうだ。アメリカでは、いくつかの州で人口の流出が続き、貧しい州では一人あたりの所得が豊かな州の三分の一しかない。アメリカにある三〇〇〇の郡のうち、三分の二は人口が減っている。アイルランドなどは、ヨーロッパのノーズーダコタになるかもしれない。市場が統合されて人の移動か自由になれば、労働力は当然経済活動がいちばん活発な地域(ドイツ)へ集中する。反対に、失業者があふれている地域(アイルランド)へ企業や工場か移って来ることは、まずありえない。

2015年5月21日木曜日

医学的な命名法

医学的な命名法では、個人の症状から名前がつけられることが多いからである。たとえば流行性髄膜炎という病気があるが、この場合、病原体は呼吸器感染症としての感染環をもっている。しかし、この病原体によって起こされる最も重篤な病型が髄膜炎であるので、このような名称がつけられている。ウイルスによる伝染病では、脊髄性小児マヒの例がある。病原体であるポリオウイルスは、消化器感染症としての感染環をもっている。ポリオウイルスは通常、口から入り、消化管で増殖して糞便とともに排出される。ところがこの過程で、ウイルスがおそらく血液を経由して、脊髄にある、筋肉を動かすための神経細胞に感染してしまい、この神経細胞がウイルスの増殖によって破壊されてしまうことがある。

その結果、筋肉が麻蝉してしまうことになるが、神経細胞の中でいくら活発に増殖しても、このポリオウイルスには次の宿主に感染するための出口がない。このように医学的な重要さと、ウイルス自身にとっての生物学的意義とが食い違っている場合も多い。この意味で、感染環が成立するような感染を本来の感染というべきだろう。流行性髄膜炎菌の場合では、咽頭粘膜における浅い潰瘍をつくる感染がそれに相当する。病原体である髄膜炎菌がこの病巣から血液の中に入り、髄膜に到達すると髄膜炎が起きる。しかし髄膜のところで増殖した髄膜炎菌には、次の新しい宿主に感染する機会がない。

脊髄性小児麻庫も、原因病原体であるポリオウイルスの腸管の粘膜細胞における感染が、子孫を新しい宿主生体に感染させることができるという意味で本来の感染ということになる。要するに、ここでいう「本来の」というのは、生物学的に意味があるということを意味する。同様に本来の宿主という言葉も、ある病原体が感染環を成立できる生物種という意味になる。

2015年4月16日木曜日

北欧からの移民のもつ意味

じっさい、記録によると、十八世紀はじめのヴァージニア州での土地所有は五〇エーカーないし二〇〇エーカーの家族農業が圧倒的大多数であって、一〇〇〇エーカー以上のタバコ栽培業者はわずか十五人にすぎなかった。プランディジョン方式を並存させたヴァージニアでさえそうなのだから、北部は文字どおり独立自曾於民の世界であったというべきであろう。十八世紀以降、北欧・東欧の小農民が中西部に入植して集約的な家族長業をはじめるようになると、小農のイデオロギー的定着は、いよいよ確実なものとなった。

宗教的には、とくに北欧からの移民のもつ意味が大きい。これら北欧系移民は散斑なルーテル派、あるいは長老派のプロテスタントであることが多かった。ホフスタッターのいうような、ほとんど宗教的象徴にちかい存在としての独立自営雌民のイメージは、こんなふうにして洗練の度を加えてゆくのであった。

そこには、スキを片手に、誰にも依存せず、ひたすら神に祈りながら黙々とはたらきつづける家族農業のすがたがあった。ジェーンが立ち寄った、あの長家も、そういう西部の独立自営農民の家であったはずである。そのことを念頭においてみると、ジェーンが子どもにのこしていったあのことば11世のなかでいちばん勇敢で立派なのは君のパパなんだの意味は、さらにはっきりしてくるはずである。

さらにいうならば、このようなアメリカ社会で農業にあたえられる大きなプラスの価値こそが、まえにのべた丸太小歴出身の大統領の物語を生み出した母胎だったともいえよう。農村、とりわけ巾西部から河部へかけての農村の、独立自営設の家庭にうまれた人物、その人物こそがアメリカ人なのであり、したがって、アメリカ大統領としてふさわしいのである。独立自尊の農民のイメージーそれは、依然として、アメリカ人の理想像のひとつなのだ。

しかし、独立自曾於民のイメージを定着させることのできた南北戦争は、同時に、アメリカ経済の主力が農業から工業に移行することを決定的にした歴史的事件であった。北部の工業地帯は、加速度的に成長をつづけた。それまでは、かなり多くの工業製品をヨーロッパから輸入していたのだが、十九世紀なかば以後のアメリカは、工業製品も自前で調達できるようになっていた。いや、すでに、ヨーロでハと競争できるところまでアメリカ工業は大きくなっていた。じつのところ、ペリー捉督のひきいるアメリカ艦隊の日本回航の背景になっていたのも、すでにアメリカが工業製品輸出国になることができていたからである。ペリー提督は、アメリカ工業製品の販路開拓の尖兵であった。

2015年3月17日火曜日

若い世代の投票行動が新しい政治構造を生み出す

その司法権の頂点にいる最高裁判所が、衆議院なら二倍まで、参議院に至っては五倍までは「立法府の裁量の範囲内」で合憲と言っている。これはもう完全な責任放棄である。立憲民主主義の根幹たる投票価値は、限りなく平等であるべきこと、一対一に近づけるべきことは、当然の原理原則でありヽまともな先進国の常識である。おまけにその格差を上回る違憲状態で選挙をやっても、「違憲状態」と宣するにとどまり、事情判決という緊急避難的な法理を持ち出して、選挙無効とは言わない。法技術的には、同じく緊急避難的な法理で、選挙無効の効果を選挙時点まで遡らせない(だから選挙後、判決時点までの立法や予算措置は無効にならない)方法もあるし、問題のある選挙区だけの部分無効という判決も可能なのだ。ところが、そういう判決を出せないのは、要はビビッているだけとしか、私には思えない。

こんな無責任で臆病な連中を国民主権の名のもとに罷免する唯一の手段が、衆議院議員選挙と同時に行われる最高裁判所裁判官国民審査である。若い世代は、投票所に行き、少なくとも、この問題に消極的な裁判官にはどんどん×をつけるべきだ。もし個別の裁判官の意見がよくわからなければ、全員×をつければいい。無責任で臆病な裁判官を説得できなかった責任は、改革派の裁判官にもあるのだから。彼らは基本的に学歴エリートである。何よりも恐れるのは、ここまでエラくなってから公衆の面前で恥をかくこと。だから×の比率が高くなることを、本当はとても気にしている。ましてや誰かが本当に罷免されでもしたら、これは大衝撃だ。国民審査で罷免されても、「これは自分の法律家としての信念だ!」と居直れるようなタマは九九・九%、最高裁判所裁判官にはいない。×の潜在的な影響力は絶大なのだ。これを使わない手はない。

よく、政界再編をやらないといまの政治的な閉塞状況は打開できないと言う人がいる。しかし、小泉政権の登場と政界再編は関係ないし、橋下旋風においても大阪地方の政界再編はあとからついてくる構図だ。前にも述べたように、もともと日本の政治風土において、政党などというものは、概ね利害得失と政局の都合で離合集散した結果の産物にすぎない。私は今後もその基本構造に劇的な変化は起きないと思っている。あるのは、ある大きなアジェンダを巡って雌雄を決さざるを得ないときに浮かび上がる対決の構図のみだ。そのとき、どの党に属するかなどというものは大した問題ではなくなる。政界再編的な立場の集約は結果的に起きてくるのだ。

したがって、国民世論を真剣に二分するような、シリアスかつリアルな問題を浮かび上がらせることこそが重要なのだ。本書で繰り返し述べてきたように、若い世代の皆さんが声を上げること、そして政治家を選ぶ選挙や裁判官を罷免する国民審査の投票行動で、明確な一つの方向性を示すことが大事である。周りの仲間と、あるいはインターネットを通じて、投票に行くこと、そしてどんな政治家や政党に入れるべきか、あるいはどの裁判官に×をつけるか、について話し合ってほしい。選挙のたびに粘り強く、繰り返して。そういう行動こそが、新しい政治構造を生み出すのだ。

改革派による権力闘争が、ある程度。いいところまで行くと、必ず旧勢力、抵抗勢力から「長いものには巻かれろ」的な甘いささやきが始まる。それも個々人や個別集団のレベルで内々に。要は個人や部分に対して利益供与を約束して、寝返りを誘い、改革派を分断しようとしているのである。人のいい人物ほど、この誘いに弱い。「いたずらな対立はやめ、すべての世代が共存共栄でいくべきだ」という論理は、「和をもって貴しとなす」私たち日本人には美しく響く。将来の地位やカネを約束してくれているのだから、この辺で矛を収めるというのは、心情的にも早く安寧な状態に戻れる点で魅力的だ。

2015年2月17日火曜日

国土交通省

ついでにいうと、議員立法の分野でも異変が起こっている。議員立法は閣法の他に、法案を国会に提出するもう一つの方法である。衆議院では二十名(ただし予算を伴うものは五十名)、参議院では十名(ただし予算を伴うものは二十名)の議員と党議決定が得られれば、議員立法として法案を提出できる。しかし、これまで議員立法はあまり活発でなく、割合でいえば、閣法が九割、議員立法は一割位だった。内容的にみても、議員立法は、国会議員、が自分たちの身の回りのことについてつくる立法と思われてきた。

しかし、阪神・淡路大震災をきっかけにつくられた「被災者生活再建支援法」二九九八年)のように、市民が主力となって法案をつくり、これに賛同する議員を超党派でつのり、国会に提出していくという市民立法が登場している。従来の閣法を超える政治立法、そして議員立法を超える市民立法に注目したい。これは最終章でふたたびみることにしよう。

日本の公共事業はあまりにも問題が多い。筆者たちは『公共事業をどうするか』でその特異な構造を明らかにした。政官財複合体の中心で、田中角栄的な利益誘導政治の元凶であり、不況になるとばらまきがくり返される。全国総合開発計画と道路、ダムなど十六本の中長期計画、財源二般予算、財政投融資、特別会計、目的税など)、そして組織・人事(国、自治体、特殊法人、公益法人、あるいは天下りまで)のすべてが官僚に握られてきた。

公共事業を所管する官庁、とりわけ建設、農水、運輸の各省こそスリム化、透明化などがもっとも必要とされる官庁である。さすがに、行革会議でも公共事業をどうするかは大きな争点になった。委員のおおかたの意見は分割だったが、建設省などをバックにした抵抗も根強く、もめにもめた。中間報告段階の決着をつけたのは橋本首相だった。

中間報告に向けて最後の詰めを行った集中討議のホテル合宿で、橋本首相が「昨夜一晩考えてみたが、こういう案もある」として披露したのが、建設省から河川局を分離して農水省にくっつけて「国土保全省」をつくるという案だ。そして建設省の残りと運輸省、国土省、北海道開発庁を合体して「国土開発省」にする。

2015年1月20日火曜日

資産市場の情報発信機能

これらが、ユーフォリアまたは「国民の自信」の強まりをもたらすことになった時代的な雰囲気だということができよう。なお、こうした中で、わが国金融機関のドル換算した資産規模も膨大なものとなり、資産規模でランキングすると世界のベストテンを邦銀がすべて独占するといった事態になった。このことは、日本の金融機関に国際競争力があるという錯覚を抱かせるようになる。

これがまさに錯覚でしかなかったことは、九〇年代以降に明白になるが、当時は競争力があると信じられており、そのマザー・マーケットである東京は「国際金融センター」化するといわれていた。そして、この東京の国際センター化に伴うオフィス需要の増大といった話が、地価上昇を正当化する「物語」として流布することになった。この種のもっともらしい(しかし、正しいとは限らない)「物語」がバブルの発生には必ず伴うものである。

たとえバブルが発生し、崩壊したとしても、資産価格が上昇し、その後下落したということにとどまっている限りは、所得分配の変史は生じるとしても、直ちに実体経済に影響か生じるとはいえない。というのは、資産価格が鳥かっかときにある資産を購人した者は、資産価格がトがれば確かに損をすることになるけれども、その裏側で、資産価格が高かったときにその資産を売却した者は、得をしているということになるからである。すなわち、社会全体でみれば、資産価格の変動の直接的な効果はゼローサムにしかならない。

バブルの発生が実体経済に悪影響を及ぼすには、(根拠のない)資産価格の上昇が誤ったシグナル(信号、メッセ~どを企業や家計に送ることになって、実体経済面での歪みを作り出すことになるからである。例えば、バブル期の日本経済の場合には、民間設備投資のGDPに占めるシェアが、一九八〇年代の前すには一三%前後であったものが、九〇年度には二四%まで拡大している。要するに、八〇年代後半からの日本においては、単に資産価格がに昇していただけではなく、強気の成長率期待を背景に過大な実物投資が(九〇年頃まで)行われていた。

正気仁戻って将来の成長率を予想し直すと、過剰蓄積の結果として形成された設備は過剰なものであり、それに伴い一雇用した人員も過剰なものであった。また、設備投資のための資金の多くは債務を負うことで調達されていたが、過剰化した設備は当初期待したような収益を生むものではなく、情務返済の負担は過重なものになってしまっていた。その意味で、債務も過剰となった。