2015年1月20日火曜日

資産市場の情報発信機能

これらが、ユーフォリアまたは「国民の自信」の強まりをもたらすことになった時代的な雰囲気だということができよう。なお、こうした中で、わが国金融機関のドル換算した資産規模も膨大なものとなり、資産規模でランキングすると世界のベストテンを邦銀がすべて独占するといった事態になった。このことは、日本の金融機関に国際競争力があるという錯覚を抱かせるようになる。

これがまさに錯覚でしかなかったことは、九〇年代以降に明白になるが、当時は競争力があると信じられており、そのマザー・マーケットである東京は「国際金融センター」化するといわれていた。そして、この東京の国際センター化に伴うオフィス需要の増大といった話が、地価上昇を正当化する「物語」として流布することになった。この種のもっともらしい(しかし、正しいとは限らない)「物語」がバブルの発生には必ず伴うものである。

たとえバブルが発生し、崩壊したとしても、資産価格が上昇し、その後下落したということにとどまっている限りは、所得分配の変史は生じるとしても、直ちに実体経済に影響か生じるとはいえない。というのは、資産価格が鳥かっかときにある資産を購人した者は、資産価格がトがれば確かに損をすることになるけれども、その裏側で、資産価格が高かったときにその資産を売却した者は、得をしているということになるからである。すなわち、社会全体でみれば、資産価格の変動の直接的な効果はゼローサムにしかならない。

バブルの発生が実体経済に悪影響を及ぼすには、(根拠のない)資産価格の上昇が誤ったシグナル(信号、メッセ~どを企業や家計に送ることになって、実体経済面での歪みを作り出すことになるからである。例えば、バブル期の日本経済の場合には、民間設備投資のGDPに占めるシェアが、一九八〇年代の前すには一三%前後であったものが、九〇年度には二四%まで拡大している。要するに、八〇年代後半からの日本においては、単に資産価格がに昇していただけではなく、強気の成長率期待を背景に過大な実物投資が(九〇年頃まで)行われていた。

正気仁戻って将来の成長率を予想し直すと、過剰蓄積の結果として形成された設備は過剰なものであり、それに伴い一雇用した人員も過剰なものであった。また、設備投資のための資金の多くは債務を負うことで調達されていたが、過剰化した設備は当初期待したような収益を生むものではなく、情務返済の負担は過重なものになってしまっていた。その意味で、債務も過剰となった。