2015年7月17日金曜日

世紀末日本の金融危機

それが海外に波及すると、英国では金融ビッグバンによりほとんどの証券会社が、外国資本に買収され、ブラックーマンデーの株式大暴落が、そうした淘汰と再編の動きに拍車をかけた。さらに九〇年代の半ばからは、業種を選ばぬ国境を越えた買収・合併や資本提携が、まるで日常茶飯事といった様相を帯びてくる。右の私のささやかな経験は、近年のグローバルな金融再編にともなう、いつどこで起きていても不思議はない、その意味では象徴的なエピソードであった。

いま、日本の金融機関にも同じ荒波が押し寄せている。本書は、世紀をまたいで進行するグローバルな金融機関の再編の動きが、なぜ起きたのかを明らかにするとともに、そのなかにようやく巻き込まれようとしているわが国の金融機関の活路を探ろうとしたものである。金融再編の動きをフォローするなかで、とくに次の二つの問題を考えてみたい。

第一は、日本の金融問題の現状認識にかかわる問題である。二十世紀最後の数年間、日本経済は、金融機関の抱える不良債権という怪物に振り回されてきた感があった。不良債権問題は、なるほど解決の急がれる課題ではあったが、怪物のイメージが巨大になればなるほど、問題の本質が省みられなくなる傾向もあった。不良債権問題さえ解決すれば日本の金融産業は立ち直り、日本経済もまたバブル崩壊以前のパフォーマンスを取り戻すことができるのだろうか。おそらくそうはなるまい。

なぜなら、世紀末日本の金融危機は、不良債権問題と同義のように語られてきたが、じつは不良債権問題そのものが、国際的な金融革新の流れに対応し損ねた日本の金融システムの、より本質的な脆弱さの産物だったからである。そして、そうした金融システムの脆弱さを除き米英の市場に追いつくために着手されたのが、日本版金融ビッグバンという名の包括的な金融改革であった以上、ビッグバンの進行にともなう競争の激化と不良資産問題の解決とが時期的に重なり合ったのもけっして偶然の巡り合わせではない。こうして、本邦の金融機関は、二重の圧力に苦しむことになったのである。