2016年1月19日火曜日

日本を推す動き

九月末に来日したインドネシアのスハルト大統領は、日本とドイツの常任理事国入りを支持し、十月にはグルジアのシェワルナゼ国家評議会議長も、二つの国の常任理事国入りに賛同する態度を明らかにした。こうした流れを受けて、インドは十一月、「安保理改組の見直し可能性に関する意見提出を勧奨する総会決議案」を総会に提出し、十二月十一日、全会一致で採択された。

これは、日本を含む四十力国近くが共同提案国になったもので、翌年六月末までに、加盟国に意見提出を勧奨するよう事務総長に要請する、という極めて回りくどい手続きを取っている。しかし眼目は、安保理改組を、総会の正式議題に取り上げて討議を本格化することにあり、事実、この決議案をきっかけとして、論議は避けられない流れになった。

安保理改革への動きに弾みがついたもう一つのきっかけは、アメリカの政権交替だった。十二年ぶりに共和党から政権を奪回したクリントン大統領は、九二年の選挙戦のさなかから「日本とドイツを常任理事国に」と呼びかけ、安保理の改革に積極的な態度を示していた。これは、米国一国の主導で秩序を維持するという伝統的な外交政策を転換し、国連を通じた積極的な多国間外交で負担を軽減する、という現実思考の表れだった。

従来、ブッシュ政権は、代表部レベルでは日本に好意的な姿勢を示していたが、政策決定事項に上げることはなく、「推進も拒絶もしない」という曖昧な態度を取り続けた。クリントン政権は、国連大使を再度、閣僚に格上げした他、米国の情報共同体を統括する国家情報会議(NIC)の下に、新たに国際機関を担当する国家情報官を加えた。いずれも、国連を重視する姿勢の表れと言える。