2012年5月17日木曜日

新たな草稿は今後の研究に貴重

「銀河鉄道の夜」などで知られる詩人で作家の宮沢賢治(1896~1933年)の未発表の詩の草稿が、岩手県花巻市にある生家の蔵から見つかっていたことが8日わかった。

草稿には、県南部の景勝地の風景も織り込まれ、賢治が花巻農学校の教壇に立っていた1925年前後に書かれたものとみられる。賢治研究にとって貴重な発見となりそうだ。

草稿は、昨年4月に花巻市豊沢町にある賢治の生家の蔵を解体する時に見つかった。はりの上に置いてあった大正時代初めの地図の裏に、鉛筆で書かれていた。年月の経過で紙は赤茶けているが、独特の筆跡などから、研究者によって賢治の作品であると確認された。3月に筑摩書房から刊行された「新校本 宮沢賢治全集」別巻に収録されている。

草稿は、「停車場の向ふに河原があって」から始まり、目の前の風景がスケッチ風に描かれている。水の流れと自動車の流れ、自然と人工物の対比が賢治の目を引いたと思われる。中には、「げい美の巨きな岩」という表現があり、一関市にある猊鼻渓か厳美渓の風景を描いたものとみられる。

筑摩書房の編集担当者は「車窓から見て、たまたま持参していた地図の裏に書き留めたのだろう。文体や作風に加え、賢治が元気で旅行をしていることなどから、詩集『春と修羅』を出版した後、花巻農学校で教壇に立っていた1925年から数年の間に書かれたのではないか」とみる。

しかし、この草稿をもとに完成させた詩は見つかっていないため、「地図の裏に書いていたこともあり、書いた本人も忘れてしまったのではないか」と推測する。

草稿について、宮沢賢治記念館(花巻市)の牛崎敏哉副館長は「書簡が新たに見つかることはあるが、詩の草稿は久々の発見」と驚く。

「草稿の中に地名は出てくるが、賢治がどこから見たのか、紙の下に書かれている英語のメモ書きはどういう意味があるのか、未解明な部分も多い。賢治作品は、校正や書き換えなど下書きから最終稿までの経過を通して研究されることが多いだけに、新たな草稿は今後の研究に貴重だ」と話している。

2012年5月1日火曜日

イベントが、古屋敷の現状を知ってもらうきっかけになる

過疎化で集落内の古民家が崩壊の危機にある山形県上山市大門の古屋敷地区に活気を呼び戻そうと、俳優の田中邦衛さんを招いたイベント「古屋敷村シネマトーク’09」が28日、同地区の集会所「谷川の庄」で開かれた。

県内をしばしば訪れている田中さんは、出演作品などの秘話を披露。約80人の来場者は、日本の原風景が残る山あいで、ゆったりとした一時を過ごした。

同地区は、1984年にベルリン国際映画祭の国際批評家賞を受けたドキュメンタリー映画「ニッポン国・古屋敷村」(小川紳介監督)の舞台として知られる。住民が約150人いた明治時代から残る古民家など約20棟のうち、現在常住は2世帯のみ。無人になった民家は傷みが激しく、保存や活用が課題となっている。

イベントは、市民有志でつくる「古屋敷村の保存を考える会」が主催。昨年9月に次ぐ開催で、山形市出身の映画評論家、荒井幸博さんを通じて田中さんに出演を依頼した。

田中さんは畳敷きの会場にどてら姿で登場。黒沢明監督の作品に初出演した時、1回目の演技で「OK」をもらい「口笛吹いて帰った」とうれしそうに話した。ドラマ「北の国から」の名セリフも実演し、来場者を喜ばせた。

かやぶき屋根などの景観を守る活動と並行し、年2回ほどイベントを行いたいという。メンバーの斎藤真朗さん(43)(上山市南町)は「イベントが、古屋敷の現状を知ってもらうきっかけになる」と手応えを感じていた。