2014年6月25日水曜日

二十一世紀に向けて

西欧の第三世界運動を訪ねる旅で、豊かさを問い直し、自らの生活や社会を変えようとする多くの市民たちに出会って帰国したとき、意識の落差にショックを受けた。人間が宇宙にまで行ける技術を手にしたこの時代に、同じ地球上で何億人という人々が飢え、環境破壊が人類を脅かしているという危機感が市民たちを行動に駆り立てていたのだが、そんな危機感が日本ではあまりにも薄いのだ。日本の経済さえうまく行けばいいという経済大国のおごり、相互依存の世界で日本だけが繁栄し続けることなどありえないということに気づいている日本人はまだ少ない。

「日本に来てみて一番驚いたのは、日本がいつまでもアジアや第三世界の国々から資源も労働力も何もかも収奪し続けられると信じて疑わないことだ。私たちがもっと闘って日本人にそのようなことをさせなくなったらどうするのか、そんなことは考えもしないのだろうか」マレーシア、サラワク州のシブという町で熱帯林を守る運動をしている青年が漏らした言葉は痛烈であった。まさに北の工業国が南の途上国を収奪することによって成り立っている不公正な世界の経済システムー南北問題。そのような世界の経済を支配する大国日本の市民として、その解決のために行動する責任を問うているのだ。

この責任に気づいてすでに行動を起こしている同じ北の先進国西欧の市民だもの経験に学ぶところは、まだまだ多い。ここで、なぜ西欧で第三世界に関わるNGO活動が盛んになったのかまとめてみると、第一に民主主義の伝統の重みがある。日本では援助は、お上がやることという見方が今でも根強いが、西欧の場合は政府より先に市民が援助活動を始めたのだ。

第二に、キリスト教のユニバーサリズム、つまり、困っている人がいればどこの国の人であろうと助けるという国境にこだわらない発想がある。第三に、貧困、低開発の原因を歴史的にとらえ、植民地支配への反省が援助活動の根底にある。第四に、南の貧困、南北格差の拡大を現代の経済システムの危機と見て、トータルに問い直そうとする。第五に、南からの移民労働者の大量流入で異文化と接触し、摩擦を感じながら関心を高めた。

これらの要因はいずれも日本のNGOも共有できるし、すべきだと思う。第一の民主主義ということも、NGOは援助を市民の手に取り戻し、官僚支配の日本の社会を民主化することにつながらなければ意味がないということである。第二の国境を越えて痛みを分かち合うということは、キリスト教文化圏でない日本でも物質主義以外の精神的なものを大切にする価値観が求められており、真の意味での国際化が必要である。

第三の植民地支配への反省は、朝鮮半島、台湾への支配だけでなく、がっての中国、東南アジアへの軍事侵略への厳しい批判が援助活動。の原点になければならないということである。第四の地球的な経済危機は経済大国となった日本の責任が重大なだけに、その変革につながるかどうかNGO活動が問われている。第五に、外国人労働者は日本にも入ってきており、異なった文化を持つ人々と共生できる日本にするためにNGOが担うべき役割は重い。

2014年6月11日水曜日

アングロ型競争市場における格付け機関の役割

経済環境の変化については、特に、日本のように信頼できる企業情報が少ない環境のまま規制緩和が行われると、銀行やノンバンクなどの短期資金貸付機関も、社債格付け情報に依存して格下げ企業への資金供給をストップし、そのために企業経営が苦境に陥り、再び格下げが必要になるということが発生する。ソブリン格付けにおいてもヘッジーファンドのような逃げ足の早い資金によって為替変動が大きくなると、金融的変化が実物経済のファンダメンタルズを悪くするので、格下げの連続的悪循環が発生する可能性がある。

格付けの変更の頻度が上昇しても、格付け情報を利用する投資家が変更の頻度を知って対応すれば投資情報としての実害は少ない。コンピューターの発達によって投資家のポートフォリオの変更が瞬時にできるようになっていれば、格付け情報を受け取ると同時にポートフォリオの組み替えが可能である。しかし、格下げのタイミングが市場の動きよりも遅くなると、格付け情報を購読している投資家はマイナスの影響を受ける。したがって、市場追随型の格付けを行う機関は投資家を定期購読者としてつなぎとめることが困難になる。

現在進められている日本版ビッグバンは、二〇〇一年までに日本の金融市場をニューヨーク、ロンドンと並ぶ国際金融市場にしようとすることを目的としている。しかし、その方法は日本独自の企業、金融システムを考慮して立てたプランではなく、ニューヨークやロンドンで自由化されているものは自由化し、規制されているものは規制しようという、いわば明治維新的文明開化のスタンスである。一言でいえば、これまでの日本的なシステムをアングローサクソンないしアングローアメリカンのシステムに転換しようとするものである。業界の協調や行政指導による秩序形成から、市場競争による資源配分の方法に転換するプランといってもよいであろう。

「自由競争にまかせる」という考え方は、アダムースミスに始まる古典派を出発点として、「パレート最適」を達成しようとする新古典派経済学の考え方を通って、一九八〇年代にサッチャー元首相やレーガン元大統領によって「規制緩和による市場経済」として実施されてきた。「パレート最適」というのは自由競争に任せれば最も効率的な資源配分が達成され、資源の利用者の効用が最大になるという考え方である。資本市場における「パレート最適」は、資金の供給者(投資家)、仲介者(金融機関)、調達者(借り手)に対する規制を排除することによって達成され、政府の役割は「情報の開示を徹底させる」ことであると理解されている。

これを日本市場で考えれば、「適債基準」などによって行政や産業団体が決めてきた資金配分を、投資家が主導権を持つ資本市場で配分するように変えようとするものである。銀行、証券などによる金融仲介も、落伍者(倒産)を出さない護送船団方式をやめて、外国の金融機関にも実質的に日本市場を解放して、日本の市場で外国の金融機関が主役をつとめるという、ウィンブルドン現象が起きても金融の利用者の効用が向上すればよいと考える。