2014年6月11日水曜日

アングロ型競争市場における格付け機関の役割

経済環境の変化については、特に、日本のように信頼できる企業情報が少ない環境のまま規制緩和が行われると、銀行やノンバンクなどの短期資金貸付機関も、社債格付け情報に依存して格下げ企業への資金供給をストップし、そのために企業経営が苦境に陥り、再び格下げが必要になるということが発生する。ソブリン格付けにおいてもヘッジーファンドのような逃げ足の早い資金によって為替変動が大きくなると、金融的変化が実物経済のファンダメンタルズを悪くするので、格下げの連続的悪循環が発生する可能性がある。

格付けの変更の頻度が上昇しても、格付け情報を利用する投資家が変更の頻度を知って対応すれば投資情報としての実害は少ない。コンピューターの発達によって投資家のポートフォリオの変更が瞬時にできるようになっていれば、格付け情報を受け取ると同時にポートフォリオの組み替えが可能である。しかし、格下げのタイミングが市場の動きよりも遅くなると、格付け情報を購読している投資家はマイナスの影響を受ける。したがって、市場追随型の格付けを行う機関は投資家を定期購読者としてつなぎとめることが困難になる。

現在進められている日本版ビッグバンは、二〇〇一年までに日本の金融市場をニューヨーク、ロンドンと並ぶ国際金融市場にしようとすることを目的としている。しかし、その方法は日本独自の企業、金融システムを考慮して立てたプランではなく、ニューヨークやロンドンで自由化されているものは自由化し、規制されているものは規制しようという、いわば明治維新的文明開化のスタンスである。一言でいえば、これまでの日本的なシステムをアングローサクソンないしアングローアメリカンのシステムに転換しようとするものである。業界の協調や行政指導による秩序形成から、市場競争による資源配分の方法に転換するプランといってもよいであろう。

「自由競争にまかせる」という考え方は、アダムースミスに始まる古典派を出発点として、「パレート最適」を達成しようとする新古典派経済学の考え方を通って、一九八〇年代にサッチャー元首相やレーガン元大統領によって「規制緩和による市場経済」として実施されてきた。「パレート最適」というのは自由競争に任せれば最も効率的な資源配分が達成され、資源の利用者の効用が最大になるという考え方である。資本市場における「パレート最適」は、資金の供給者(投資家)、仲介者(金融機関)、調達者(借り手)に対する規制を排除することによって達成され、政府の役割は「情報の開示を徹底させる」ことであると理解されている。

これを日本市場で考えれば、「適債基準」などによって行政や産業団体が決めてきた資金配分を、投資家が主導権を持つ資本市場で配分するように変えようとするものである。銀行、証券などによる金融仲介も、落伍者(倒産)を出さない護送船団方式をやめて、外国の金融機関にも実質的に日本市場を解放して、日本の市場で外国の金融機関が主役をつとめるという、ウィンブルドン現象が起きても金融の利用者の効用が向上すればよいと考える。