2014年7月24日木曜日

円高は防げないのか

実物面での経常収支と金融面の資本収支のアンバランスを埋めることがなげれば、為替レートが不安定なのも当然である。しかも将来、円高が見込まれるときに積極的にドル債権に投資しようとはしない。キャピタルーロス発生の予想はドルヘの投資を消極的にする。これによって予想された円高が実現していくこととなる。為替レートが十分に経常収支を制御する、すなわち円高で輸出が減り、輸入が増えなければ円高が継続して進行することは先の議論からしても当然のこととなる。一九九〇年末のバブル崩壊後からの円高の進行はいかにも「異常」であるが、経常収支黒字幅の拡大が為替レートの動向とはまったく反対方向に動いたので、傾向的な円高も避けられないことであった。

この円高は日本経済に大きな影響を与え、せっかく景気回復の兆しを見せてもすぐに逆戻りさせてしまった。後で詳しく検討するが、為替レートの変動自身は望ましいものではなく、安定するに越したことはない。そこで、為替レート安定のための経済政策を行うことが要求される。第一の方法は「介入」である。食糧管理などの価格維持政策と同様、マーケットで円か高くなりそうであれば政府がドルの買い介入を行い、円か安くなれば売り介入を行うという単純な政策である。

これを徹底して行う、すなわち、無限介入を行えば、為替レートは固定化される。がっての固定相場制とは、あらかじめ為替レートが決められており、これによって生じるドルの過不足を全額日銀が介入で買い入れ、または売却を行う制度であった。このために、とくに売り介入を行うための外貨準備はきわめて重要な存在であった。

変動相場制度の下でも、短期的な通貨の変動に対して介入を行うことはごく普通のことである。しかしながら、これは成功していない。円高傾向に対してドル買い介入を続けたため表に見たように、日本は世界一の外貨準備を持つ国となってしまった。今日、世界の為替取引は一目に一兆ドルを超えており、少々の介入を行っても為替レートを動かすことができない状況にある。

むしろ、政府の介入は為替レートに関する期待を生むことになる。もし介入が成功しなければ、投機を行った投資家は大きな利益を得ることになる。介入は投資家に安心して投機を行わせることにもなりかねない。すなわち、ドル買い介入が行われている限り、それは円高気配であることの情報を流すことになり、これに投機が乗ると介入が成功するかどうかわからなくなる。事実、これまで短期的な為替レートでも安定化に成功したことは稀である。

2014年7月10日木曜日

要するに母は七〇代の家政婦さんに嫉妬しているのである。

母親は、見舞いにくる父親に対して、夜中にあんたの旦那さんは若い女とのんきに暮らしているといいにくる人がいる、といったという。正月に、家政婦さんが休むのに合わせて父親だけが有料老人ホームのショート・ステイを利用したあとは、父親に当たる度合いがことにひどかったようだ。

私たちの海外旅行の間、二人でこのホームを利用したことがあって、スタッフの若い女性がいろいろ世話を焼いてくれるのを知っていたからである。

若い女とのんきに暮らしている、といっても、要するに七〇代の家政婦さんに嫉妬しているのである。ストレートに牽制するのはさすがに気が引けるから、嘘を使ってイヤ味をいうのだが、入院見舞いならさっさと逃げ帰る手もある。一時帰宅してねちっこくやられたらたまらない、と父親は思ったらしい。

母親は、入院する直前、夜中に布団の中で大便をした。さすがに自分でも体裁が悪いと思ったのか、私たちには知らせずに後始末をするよう父親に迫った。

そのときに最初の脳出血があったと思われるのだが、翌朝になって家政婦さんが事実を知り、たまたま私か仕事にいっていた名古屋に家内から連絡があった。仕事を済ませて深夜に帰宅し、その翌日に入院させて発病がわかったのである。

病気だったのだから、大便の始末もやむをえない。いくら我がままな母親でも、亭主がそうなれば黙って始末しただろう。それなら父親も、七〇年連れ添った女房のために、こんなことの一回や二回、黙々とすればいい。それが老夫婦の暮らしというものだろう。

ところが父親には、なんて大便の始末を自分がしなければならないのか、こんなことが繰り返されてはたまらない、という感覚が根強くあった。現に家政婦さんに、繰り返しこうボヤいたそうだ。

くだらない邪推に基づいて母親に絡まれてはかなわない、という気もあったに違いないが、この点が母親の一時帰宅に抵抗した最大の理由だろう。妹たちもそこはわかっていたはずなのに、あくまできれいごとですませようとしたわけだ。