2013年7月8日月曜日

未発達たったデフレの経済学

デフレは、多くの人に経済的な損失をもたらし、財政を悪化させ、将来にまで禍根を生み出すばかりか、心理的な面でもネガティブな影響を与えてしまうのである。国民を殺したくなかったら、デフレを止めろしたがって、この章の結論は、極めて明快なものである。これ以上国民を貧しくし、追い詰め、その命までも奪ってしまわないためには、まずデフレを止めることが必要だということである。十三年間で四十二万人もの人が自殺を遂げたが、そのうち、およそ三分の一は、デフレがもたらした、犠牲者と考えられる。徹底的にデフレと戦い、正常な状態に経済を戻すことによって、景気や雇用も改善するだけでなく、国民の心理状態も改善することが期待できるのだ。

デフレを脱し、適度なインフレになれば、賃金も所得も上かっていく。借金は、実質的に縮小し、資産は少しずつでも値上がりしていく。それによって、税収も増え、国の財政も改善しやすくなる。ほどよくインフレになれば、すべてが円滑に回りはじめるのだ。デフレの状態は、車をバックで運転しているようなものだ。そんな状態を十年も続けていれば、新興国にどんどん追い抜かれてしまうのは当たり前だ。要は、前を向いて走ればいいことなのである。前を向いて走ったときに力が出るように、すべてのシステムができあかっているからだ。それをバックで走ろうとしているから、すべてがうまくいかなくなってしまっている。

そのことに政策担当者も気づいて、ようやく舵を取り直し始めたのだと思いたい。猛スピードを出さなくても、安全運転で走れば、すべてはうまく回転し始める。日本国民をもっと信用して、その力をいかんなく発揮できるようにすることである。それには、潜在力を十分発揮できる環境にしてもらわねばならない。これ以上の政策ミスは、もはや許されないのだ。これまで見てきたように、デフレから脱却するうえで大前提となるのは、必要な金融政策が、十分な規模で、持続的に行われることである。景気変動やデフレのコントロールに関しては、中央銀行(日銀)による金融政策が、政府の財政政策以上に重要なのである。政府がいくら財政出動しても、国民がいかに頑張って働いても、金融政策が間違った方向に動いてしまえば、すべてを台なしにしてしまう。金融政策は、経済の大動脈弁であり、循環血液量を適正に保つ腎臓なのである。

すでに見たように、日本においてバブルが発生したのも、その後遺症に苦しめられたのも、実は中央銀行がコントロールに失敗したという点が大きいのである。このことは、すでに多くの識者から指摘されているとおりである。日銀の金融政策は、物価と雇用という、国民にとってもっとも身近な問題の根幹にかかわるものであり、その効果はゆっくりとしたものであるが、政府の政策より持続的で、強力な作用を及ぼすのである。金融政策でしくじると、一億二千万の国民の生活は翻弄され、安定的に豊かさを積み上げていくことが困難になる。いくら汗水たらして働いても、生活は貧しくなる一方で、一生かかってマイナスの資産しか築けないという馬鹿げたことが多くの国民の身に起きてしまう。しかしなぜこんな理不尽な事態に対して、有効な手立てがなかなかうたれなかったのだろ
うか。

「経済に対する現在のわれわれの理解度はその程度なのである」とグレゴリー・マンキューは、有名な経済学の教科書の中で自嘲的に述べている(『マンキューマクロ経済学H』)。政策立案者やその顧問たちは、「言わば能力を超えた仕事をしている」のが現状なのである。そのため、後から検証してみれば、まったく反対のことをしてしまったということも珍しくない。政府も経済学者も政策立案者も、何か起きているかをよく理解できているわけではないのだ。悲しいかな、誰も経済という巨大なモンスターがどういう習性をもっているか、本当にはよくわかっていないのである。それは、一般の国民にとって驚くべきことに違いないが、現実なのである。